「あのこ」の記憶
眠ってました

息子さんが来はったよ とスタッフの女性
いえ このままで と起こさないよう小さな声で私
どうやら眠ってはいなかったらしい
パチッと目を開けてぼんやりしてるから
この人誰? わかる? とまたスタッフの女性
お気遣いはわかるけど
私はこのままで構わない・・・
で また 私の右手を ギュー で ポキポキ
利き手を握られたから犯行の現場は撮り損ねた

なにやらスムージーみたいなドロリとした飲み物
ひと口付けてそのあとはもう飲もうとしなかった

数年前に半年一緒に暮らしたら ウインナは嫌いハムは嫌いジャガイモは嫌いと好き嫌いがいっぱいあった 子どもの頃は私にあれほどやかましかったくせにこれはいったいどういうこっちゃねんってなものだった
なにもしゃべらない もう歌も唄わない 私が誰かなんてなーんにもわかっていない ただそばにいるだけ それでいい それでもいい こうして隣に座ってるだけでいい
眠ったり目を開けたりまた眠ったり 突然
はっきりと しっかりとした声で
あんた ええこもろたなぁ あのこはほんまにええこやなぁ
びっくりやらおかしいやら それ 誰のこと言うとんのんな と私
視線を振ったらスタッフの女性とにっこりと目が合った
すこし前の母親なら「あんた」は私で「あのこ」は妻で それで辻褄は合うのだけれど今のこの期に及んでは俄かには信じがたい ここ何回も来て会ううちに もうなーんもわかっていないしますます何にもわからなくなっているし 先日の 気ぃつけて帰りよ と同様 これはいったいどういうこと
あの子って誰の事なん? ともう一回訊いたけど
もーええ もー知らんっ と怒ったように眠ってしまった
てっきり 頭の中は厚い雲がかかっているものとばかり
風でも吹いたのか 雲が流れて切れたのか
その切れ間の向こう 妻の姿が見えたのか それが
妻とわかったのか 妻のことを覚えているのか
目の前の私のこともわかってないのになんで妻のことがわかるのか
ほんとのところはわからない 誰のことかわからない ここはひとつ
都合のいい解釈 「あんた」は私で だから「あのこ」は妻
そういうことにしておいてなんら矛盾も不都合もない
数年前とはいえ短い間だったとはいえこの家で濃密な時間を過ごした 子どもを産むたびに病院へ飛んできてくれて 孫の顔を見にしょっちゅう家に来てくれて 同居じゃないから会うのはときどきだったけど 嫁に迎えて30年以上が経つんだもの すっかりまだらになってしまっても 沼の底の病葉の陰 記憶はきっとかすかに残っているはず思い出が少しでも残っててほしいもの
こら また狸寝入りか なんて思ううちに
小さくいびきなんか立て始めた
なんだかだんだん子どもみたいなおかーちゃん
つい今さっきのこと おかーちゃんの頭の中を
どんな風が吹いたのやらなんの香りが立ったのやら
ワタチのことに決まっとるがな

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いえ このままで と起こさないよう小さな声で私
どうやら眠ってはいなかったらしい
パチッと目を開けてぼんやりしてるから
この人誰? わかる? とまたスタッフの女性
お気遣いはわかるけど
私はこのままで構わない・・・
で また 私の右手を ギュー で ポキポキ
利き手を握られたから犯行の現場は撮り損ねた

なにやらスムージーみたいなドロリとした飲み物
ひと口付けてそのあとはもう飲もうとしなかった

数年前に半年一緒に暮らしたら ウインナは嫌いハムは嫌いジャガイモは嫌いと好き嫌いがいっぱいあった 子どもの頃は私にあれほどやかましかったくせにこれはいったいどういうこっちゃねんってなものだった
なにもしゃべらない もう歌も唄わない 私が誰かなんてなーんにもわかっていない ただそばにいるだけ それでいい それでもいい こうして隣に座ってるだけでいい
眠ったり目を開けたりまた眠ったり 突然
はっきりと しっかりとした声で
あんた ええこもろたなぁ あのこはほんまにええこやなぁ
びっくりやらおかしいやら それ 誰のこと言うとんのんな と私
視線を振ったらスタッフの女性とにっこりと目が合った
すこし前の母親なら「あんた」は私で「あのこ」は妻で それで辻褄は合うのだけれど今のこの期に及んでは俄かには信じがたい ここ何回も来て会ううちに もうなーんもわかっていないしますます何にもわからなくなっているし 先日の 気ぃつけて帰りよ と同様 これはいったいどういうこと
あの子って誰の事なん? ともう一回訊いたけど
もーええ もー知らんっ と怒ったように眠ってしまった
てっきり 頭の中は厚い雲がかかっているものとばかり
風でも吹いたのか 雲が流れて切れたのか
その切れ間の向こう 妻の姿が見えたのか それが
妻とわかったのか 妻のことを覚えているのか
目の前の私のこともわかってないのになんで妻のことがわかるのか
ほんとのところはわからない 誰のことかわからない ここはひとつ
都合のいい解釈 「あんた」は私で だから「あのこ」は妻
そういうことにしておいてなんら矛盾も不都合もない
数年前とはいえ短い間だったとはいえこの家で濃密な時間を過ごした 子どもを産むたびに病院へ飛んできてくれて 孫の顔を見にしょっちゅう家に来てくれて 同居じゃないから会うのはときどきだったけど 嫁に迎えて30年以上が経つんだもの すっかりまだらになってしまっても 沼の底の病葉の陰 記憶はきっとかすかに残っているはず思い出が少しでも残っててほしいもの
こら また狸寝入りか なんて思ううちに
小さくいびきなんか立て始めた
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つい今さっきのこと おかーちゃんの頭の中を
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